同窓会誌創刊の頃の思い出



浜松医科大学同窓会松門会  4代目同窓会長
宮嶋裕明氏
(浜松医科大学2期生)
浜松医科大学  第一内科学教授


浜松医科大学の同窓会は、昭和55年3月、第1期生の卒業とともに発足し、会長は1期生の三浦克敏先生、峯田周幸先生、吉田雅行先生と引き継がれ、 昭和61年4月から3年間を私が担当しました。

その頃はまだ会員は皆、医師としての初期研修から専門研修のまっただ中にあり、会員相互の連絡が取りやすいように、名簿の作成が役員の仕事でした。 現在のような個人情報保護法はなく、会員同士が気楽にお互い頼みごとができるための詳細で良質な情報源となりました。

同窓会誌の創刊号は、昭和61年9月1日発行です。ちょうど、初代学長の吉利和先生から次の中井準之介先生に移行した年に当たります。 会誌の冒頭には、吉利先生中井先生、 副学長の本田西男(第一内科)先生山田瑞穂先生(皮膚科)にご挨拶を頂戴しました。 この頃の学長、教授は風格があり、それぞれに独特なオーラがあり、原稿依頼は緊張したものです。

私の吉利先生のイメージは医学概論で板書されたラテン語です。足軽、お殿様を仰ぎ見るといった印象でした。 しかし卒業する頃には学生の特権を活かし、3名ほどで学長室へ突然押しかけて卒業生全員への色紙をおねだりしました。 このため「君はあの時の厚かましい学生のひとりですね」と、とても温かくお迎えくださり、「母校との繋がりは年齢を重ねるほど感じるものだから同窓会誌は継続してください」 と励まされました。

中井先生はとても快く原稿を引き受けてくださり、「医学部の同窓会は他の学部と比べて特に結束が固い。まめに育てることが大切で、その成功の鍵は役員の熱意ですよ」と激励されました。

本田先生は直属の上司でしたが、最も緊張しました。その頃の教授回診は時々ドイツ語で行われ、たまたま原稿の締め切りもあったので、 ドイツ語の衝撃を受けたばかりでしたが、恐る恐る「実は今度、同窓会誌を発刊するですが・・・」と話し始めたところ、 「同窓会はドイツ語で何という?」と質問され、再び貝になりました。 それでも同窓会には好意的で、「同窓会は圧力団体になるなよ」と仰いながら翌日には原稿をくださいました。

山田先生のお部屋には沢山のペーパーモデルやボトルシップがあり、その一部は講義のスライドに登場しました。 とても精巧な機関車や飛行機は見とれるばかりでした。そこで会誌の第4号の表紙は、山田先生の力作です。 ちなみに、第1号の表紙は、昭和60年代の大学の航空写真です。大学の周辺はマムシの出る山でした。 第2号の表紙は生化学の藤田道也先生作、美しい”学内風景”の絵画、第3号は新しいバスターミナルを備えた浜松駅の写真です。 いずれも懐かしく、還暦を過ぎて久しぶりに30年前を思い出しています。