同窓会発足当時を振り返って


浜松医科大学同窓会松門会  初代同窓会長 
三浦克敏氏
(浜松医科大学1期生)
浜松医科大学  看護学科教授

初代の会長を務めました三浦です。35年前の記憶の糸をだどりながら、発足当時を振り返ってみたいと思います。

昭和55年3月に浜松医大の第一回目の卒業式が行われました。この時に有志が集まって同窓会を作ろうということになりました。誰を会長にするかが問題となりましたが、 「大学に残る院生の中で、臨床は患者に縛られて忙しいだろうから、一番暇そうな基礎に進んだ三浦がいいだろう」ということになってしまったのです。

まあ数年なら構わないだろうと引き受けましたが、基礎の大学院生活も決して楽ではありませんでした。病理研修1年目から病理解剖(剖検)が始まりました。 今では年間20〜30の間に減っていますが、当時は大学だけで年間160体ほどあり、近在病院への出張解剖も合わせると大変な数に上りました。 休日、夜中でも依頼があれば喜んで引き受けました。

2年目からは、病理診断のトレーニングが加わりました。生活費を稼ぐために、精神病院へ泊まり込みのアルバイトもしました。 さらに、教授からマウスにアミロイド症を作る研究のテーマを与えられ、動物の扱い方や実験手技を少しずつ覚えるようになっていきました。

同窓会で大変だったのは名簿作りです。というより、同窓生の連絡係を務めることが会長の一番の仕事でした。 当時は今のような研修制度はなく、どこかの医局に所属して、そこから関連の病院に派遣されることになるので、 卒業後しばらくの間はいろいろな病院を移動することになっていました。これをフォローして名簿を新しく更新していく訳です。 最初は一人でやっていたのですが、学生課を定年退官した神村幸夫さんが同窓会の事務手続きを助けてくれるようになり、大変助かりました。 会則の見直し、会費の徴収など、細々した事務処理を手伝ってもらいました。

一番の失敗は、同窓会費の盗難です。徴収したお金を机の中にしまい、鍵をかけたのですが、同じ机の別の場所にしまっておいたら、 夜間、大学を荒らす泥棒の被害に遭ってしまったのです。以後、お金はすぐ郵便局に預けるようにしました。

もう一つ同窓会の大切な仕事は、同窓生と大学との連絡役です。 中にいれば、大学の情報はリアルタイムで伝わってきますが、外に出た人達にとって、母校である浜松医大の動向は気になるもの。 良きにつけ悪しきにつけ、浜松医大の名前が新聞やマスコミに載れば、気になってしまいます。 自分が浜松医大出身であることに、誇りを持てるのはありがたいことです。 昔はわざわざ「静岡県に一つだけある国立医科大学」と説明する必要がありました。幸い、静岡県内はもとより全国でも浜松医大の名前は知られるようになりました。 毎年全国から多数の志願者が集まり、中には同窓生の師弟も混じっている。 自分の出た大学に魅力を感じているからこそ、子どもにも同じ大学を薦めるのだと思います。

プレハブでできたおんぼろ校舎を仮校舎として発足した当時の浜松医大の面影はみじんもなくなりました。 同窓生には半田山という場所で、勉学、スポーツ、部活で汗を流し、若い貴重な時間を共に過ごした共感があります。 先日、研究棟8階の同窓会がありました。 30年ぶりに顔を合わせる人たちもいましたが、すぐにうち解け、昔話に花が咲きました。 馬鹿な経験や大きな失敗もしましたが、振り返るとどれも良い思い出になっています。 若いときに一緒に研鑽を積んだ思い出は一生の宝だと思いました。

大学は人と人とのふれあいの場を提供してくれました。研究、仕事の基礎を作ってもらいました。 私にとって、浜松医大は心の故郷になっています。